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咲くLife

vol.9

Aug. 2021

谷本 知子さん

「咲くLife」、9人目のゲストは、2025年大阪・関西万博の会場となる夢洲に最も近く、大阪湾に面した大型複合施設で広報企画を担う谷本知子さんです!
谷本さまプロフィール
谷本さんは常に新しい企画を考え、異業種を巻き込んでいくバイタリティ溢れる方です。

グロリアが取材!

まずは谷本さんのこれまでのキャリアをお教えいただけますか。

ー 現在の会社は2社目で、1社目は大阪発祥の商社で働いていました。3年働いたころに、長く続く平成不況や中抜き(商社不要論)と言われた社会経済の流れで商社は次々に倒産に追い込まれました。私の働いていた会社もその一つで、そこからまた就職活動を始めました。前職時代のショールームがATCのITM棟に出店していたので、その縁があり求人から応募してATCに転職したのがはじまりです。

グロリアが取材!

当時の社会情勢もご説明いただき、大変よくわかりました。未来永劫はないということ、組織で働く誰もが意識しなければならない大切なことです。現職に就かれ、これまで谷本さんはどのようなお仕事をご経験されてこられたのでしょうか。

ー 当時、ATCは若者を対象にした大型複合商業施設でしたが、私の仕事は企業の事務所誘致でした。
その頃の営業と言えば、足繁くお客様のところへご訪問し、汗を流すことがセオリーでしたが、私は全く正反対のことをしました。自社のWEBサイトにテナント募集のページを開設したところ、直ぐにヒットし、椅子に座っているだけで業績が上がるという幸運に恵まれました。その時ご契約いただいた会社様は今でも継続いただいています。ITもまだまだの時代、若い世代の意見を取り入れてくれる社長に代わりました。そのときに、新設された企画推進室に異動となりました。

グロリアが取材!

今ではPCを活用しての営業は当たり前ですが、当時は批判もあったことでしょう。さすが、谷本さんの新しいを先取りする実行力です。異動されたときのエピソードを、もう少し詳しくお聞かせいただけますか。

ー 2003年、ATCは特定調停を申請し、再建を求められました。経営を一新する必要があり、一役を担ったのが、伊藤忠商事の副社長を務められ、2004年にATCの社長に就任した秋本氏です。再建には何が必要なのかを考えられ、欧米での駐在経験から、音楽が街に溶け込む活気ある雰囲気をヒントに、ATCやこの咲洲地区を「音楽のある街にする」ということを目指されました。それに併せて当時のWTC(現在の大阪府咲洲庁舎)や、ハイアットリージェンシー大阪、相愛大学、大阪市や住之江区の行政も巻き込んで、街おこしをしようと計画されました。
その街起こしの旗振り役をATCが担うということを掲げ、「365日音楽のある街」「南港発世界行きを応援する(若手のこれから伸びそうな人を応援する)」をキャッチコピーに南港音楽祭を開催することが決まりました。私は学生時代から吹奏楽でクラリネットを吹いており、当時も音楽活動をしていたので、この企画に呼ばれ、ぜひ関わりたいと手を挙げ、異動となりました。

グロリアが取材!

谷本さんの異動には、これまでの経営を一新するための大きな施策が関係していたのですね。音楽のある世界はとても魅力的です。具体的にどのような取り組みをされたのでしょうか。

ー 現在も続く咲洲ダンスフェスや南港サンセットホールという、最大250名収容できる海の見えるコンサートホールを作りました。ダンスフェスは、現在、EXILEのパフォーマーやジャニーズのグループで活躍しているアイドルが子ども時代に参加していた、関西指おりのイベントになりました。サンセットホールは、前は結婚式のチャペルとして使用されていたのですが、本当に音楽を奏でてよい環境なのかをみるために、私も師匠にお願いして仲間と一緒にここでクラリネットを演奏させてもらいました。そして16年目になる現在も、土・日・祝と沢山の音楽家のみなさまにご利用いただくことができています。
当時の秋本社長が改革の一手で始めた街おこしと連動して、この地区にも住宅や大学ができました。2013年には産官学連携の取り組みの一つとして「咲洲こどもフェスタ(咲洲こどもEXPOの前身)」が誕生しました。
サンセットホール

グロリアが取材!

谷本さんの音楽への愛と、お仕事、ATCへの愛情を感じます。凄くお仕事熱心な谷本さんですが、二人のお子さんを育てるお母さんでもありますね。子育てについてもお聞かせいただけますか。

ー 10年前に結婚し、現在小学校2年生の子と5歳の子がいます。一人目を産んだ時に1年間の育休を取得、1年働いたころに二人目が産まれ、もう一度1年間育休をいただきました。

グロリアが取材!

1年で復帰された理由はあるのでしょうか。

ー 1年職場を離れるだけで、全く状況は変わってしまいます。私の育休前にちょうどトップの交代があり、過渡期でした。早く復帰しないと。という思いでした。
お仕事が好きということはもちろんありますし、お給与のこともあります。子どもを保育所へ預けて復帰しました。

グロリアが取材!

制度上、最大限のお休みを取られる方が多い中、谷本さんの熱意が伝わってきます。ご家族の支えはいかがでしたか。

ー 普段から、両親が手伝ってくれるので本当に助かっています。一人目が産まれたとき、夫は育児をイベントのように思っていましたが二人目の出産で当事者として日々のことと認識、コロナ禍が相まって、現在では炊事をする際も、片づけをしながら手際よく、料理の腕もあげるようになりました。私は家族に恵まれていると思います。(笑)
また、夫は元から子どもが好きな人で協力して子育てをしているため、子どもの情報も同等に把握しています。どちらかに偏らないことで、子どもの育成をそれぞれの視点から考えることができます。助け合うことができたのは、家族や保育園、塾の先生のお陰でもあります。

グロリアが取材!

子煩悩の旦那様で、とても素敵なご家族であることが想像できます。読者の憧れですね。谷本さんがこれまで歩まれてきたキャリアで、一番しんどかったエピソードはございますか。

ー 昨年の今頃ですね。咲洲こどもEXPOのプロデューサーをやらせてくださいと自分で手を挙げましたが、これまでの業務を引き継げばよいと、甘い考えでした。コロナ禍で例年通りとはいかず、言い出した当時はこのお仕事に対して明るいイメージをもっていたのですが、新しい業務に八方ふさがりでした。コロナ対策に追われ、関係各所へのお声掛けから開催までに時間がなく、私の一番好きな海辺のオペラも中止となったこともしんどかったです。

グロリアが取材!

前向きなことが制御された1年でしたね。やらない選択肢ではなく、できることをチャレンジできるようにしていきたいですよね。今後の谷本さんの目標はございますか。

ー 私は前職から職場が変わったときに、気づきがありました。ATCって、海も緑もあって、空が高いんです。出社するだけで心が弾むのを感じました。このような、気持ちが前向きになれる環境があるので、ATCを多種多様な情報、人、モノが集まる場所に、そして、それらを繋いで「いい出会い」をつくること、発展させることが、今の目標です!
そして、2025年の大阪・関西万博を契機に、陸・海・空の日本初のハブ機能をもった施設にしたい、と妄想しています。(笑)

グロリアが取材!

私は谷本さんやご関係者の方々とお仕事を一緒にさせていただいている中で、既にそのように思っておりまして、感謝の気持ちでいっぱいです。本当に幅広いコネクションをお持ちです。これからもぜひ、よろしくお願いいたします。とても魅力的な谷本さんですが、心の支えや恩師のような方はいらっしゃいますか。

ー 短大時代の恩師でクラリネット奏者の岩井秀昭先生です。学生時代からニュージーランドやベルギーなど演奏旅行へ行かせていただき、音楽で世界を繋ぐという事を勉強させていただきました。
阪神淡路大震災の時も音楽で社会に何かできないか。ということで、被災地に演奏に行かせていただきました。現在のサンセットホールを立ち上げる時も真っ先に相談へ行きました。海から世界に繋がるということが連想できるホールにしようと思いました。ここから世界に繋がるアーティストが生まれてくれたらいいな。と思っています。昨年遂に、ドイツとATCをオンラインで繋ぐコンサートが開催されました。

グロリアが取材!

とても素敵なお話ですね。海の見えるコンサート、南港サンセットホール、私もぜひ行きたいと思いました。最後に、読者のみなさんへメッセージをお願いできますでしょうか。

ー 子育てしながら働くことは、組織の上で減点要素になっても加点要素にはなりません。早く帰らないといけないとき、他の誰かが仕事のフォローをしてくれています。室の上司や上長にはとても感謝しています。
限られた時間の中でいかに成果を上げるかが求められ、それを持続させることが重要です。そのためには元気でいることで、その源はやはりご飯です。私は必ず手作りご飯で栄養を摂るようにしています。また、24時間の中で必ず仕事を忘れる時間をつくります。子どもとの時間を過ごして息抜きをしたり、自分が好きなことを取り入れることが大切です。

 


いつも元気で明るい谷本さんの原動力を少し垣間見れ、とても勉強になりました!ATCさんの掲げる夢、私も一緒に応援したいです。ぜひ、読者の方も一度南港サンセットホールや11月13日(土)・14日(日)に開催する咲洲こどもEXPOに足を運んでみてください!

 


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